待ちに待った特集号♪でも分量少なくてあっさり読み終わってしまいましたので(しくしく)さっそく感想など。
(初読後の気楽な感想文で、精読した書評ではありません。読み落としや誤読があるかもしれませんが、なにとぞご了承ください)
短編小説『商人と錬金術師の門』 道具立てとしてタイムマシン(歳月の門)が出てきますが、読んだ感触はSFという感じはしませんでした。これはいい意味で。…というのは、「タイムマシン」のメカニズムについてはまったく触れられていないんですよね…面白い。「SF」という意味をどうとらえているかによりますが、自分の感覚だと、SFと銘打ってタイムマシンが出るとなれば、その理屈が多かれ少なかれ説明されるのが「お約束」な感じがします。ところがそれはまったくありませんでした。 しかしチャン氏の言う意味での「魔法」(これについてはあとのエッセイのところで)でもないらしく、インタビューや翻訳なさった大森望氏の解説を読むと、ワームホールを使った「行き先を固定されたタイムマシン」というハードSFなアイデアに基いているらしいです。でもその理論は作中では読者に開陳されないし、読む上で必要でもありません。(予備知識があれば「音数」が増えるのでしょうが) …基盤に科学的アイデアがあるとしても、やはりタイムトラベル自体ではなくて、それで経験されるものが前面に感じられます。その意味では正直「これってSFなのか?」という感じもします。でも、やっぱりその「道具」がないと成立しない話なんですよね。またまた、アイデアと情緒の落としどころがぴたりと一つになる芸当を見せてくれてます。これがやはり持ち味なんでしょうね。 …逆に言うと、ガジェット描写に淫していない。…どころかすっ飛ばしている。いい意味でSFらしくないというのはその意味です。「良質な普通の小説」でカテゴライズされててもおかしくないような。ただ、舞台がアラビアンナイトの世界ですから「普通」で売るのも難しいでしょうけど…ほんとに商売っ気のない作家さんですね。このアイデアとロマンティシズムをそのまま現代に移し換えて長編化したら、一般受けするだろうに。(短編集に入っていた作品より少し「わかりやすく」なっていて映像的なので、容易にハリウッド映画用に脚色できそう(笑))。まあ、それをしないというか、考えもしないだろうというところに、ある種の「作家として信頼できる感じ」があるのですが…。(でも、やったとしてもべつに「裏切られたー」とか思いませんよ。もっと稼げばいいのに…ってそういう問題じゃないか!(笑)) 錬金術師の正体とか、非常に気になるところがほったらかしですが、これを全部説明しちゃうとこの余韻はないんだろうし、「普通のSF」になっちゃうんだろうな。「不思議な物語」というのが一番合っている感じがします。土の中から発掘された、誰も読んだことのない話、みたいな。 それと、(これも短編集でも思ったのですが)女性登場人物に関する描写がリアル。というか、心理的にウソくさくないというか。これは男性が書いた小説では珍しいことなのでは?逆に男性キャラのほうが「キャラ」っぽかったり、女性にとって「都合がよい」キャラになってたりします。(男性読者にはどう見えているのだろう)そのため、短編集を読んだときは、女性が男性の名前で書いている可能性を考えたくらいでした。そのへんも面白さを感じるところです。 |
『特集解説』 じつは自分にとって、この作家さんの作品は、「何度も読み返したい」というタイプのものではありません。作品にはもちろん魅力を感じますが、誤解を恐れずに言えば、「なくてもかまわないけどあるとすごく贅沢」みたいな。人生に栄養をくれるタイプではなくて、あくまで高級嗜好品なんです。(だから、しょっちゅう新作を読みたいとは思わない) でも、この作家さんから人生の栄養として得たものがあります。それがインタビューなどで繰り返し出てきて、この解説でも語られている「Occasional writer」 (日曜作家/大森氏訳)という概念でした。 ほんとは専業作家になりたいけれど・・・というネガティブな意味ではなく、自覚的にそうしているという生き方。そういうのが「あり」で、しかもそういう人がすごい作品を書いてしまう、という生きた見本がこの人。納得できるアイデアが出るまで書かないという、売文家の対極。ある意味贅沢な創作形態ですね。量産することや販売規模の大きさと、作品のクオリティーは別物…という「きれいごと」が、現実にあるのを見るのは素敵なことです。しかもリアルタイムに。 |
ショートショート『予期される未来』 ボタンを押す一秒前にライトが光るおもちゃから引き出される、自由意志の不在。個人的には、世の中それぞれが自分好みのウソを選んでるだけ、という感覚がぬぐえず、脆弱な精神になってしまっているので、今は正直、自由意志の問題でここまで深刻にはなれません。(やっぱチャン氏はアメリカ人だなー、とも思ったり)でも思考実験としての面白さは感じました。SFはそれ(思考実験)で充分なんですが、ほかのチャン氏の作品が情緒的にも深かったりするので、ちょっと「普通のSFショートショートみたい…!?」なんてへんな感想を持ちました。いやー、贅沢に慣れるのは早い!(笑) |
『テッド・チャン・インタビュウ in Japan』 ワールドコンでのインタビュー企画の採録。チャン氏はクラリオン・ワークショップに参加して初めて、SFに興味を持つ仲間を得たそうで、「存在を知らなかった家族のよう」と言っています。ワタシにとってはこの企画会場自体が、「テッド・チャンの作品を読んでる人がこんなにワンサカいるなんて!」という嬉しい驚きの場でした。(SF小説を読む人自体が日常生活圏にいないので(^ ^;))。分量は少ないけれど、貴重な思い出の記録です。聞いてもピンとこなかった作家名などがはっきりしました。やはり知らない人ばっかりですが…(笑) |
エッセイ『科学と魔法はどう違うか』 要約すると、科学技術によるものは誰にでも再現できて大量生産できるけれど、魔法は特殊な状況や選ばれた人のものであり、「宇宙が人間のようにふるまう」世界でしか成立しない、というようなお話でした。そしてSFもファンタジーもありで、両方から読者は利益を得る、というフォローつきです。(でもいっしょくたにはできない、ということなんですね) 読んでいて、「再現できるかどうか」についていろいろ触発されました。一見同じに見えて、じつは今の技術では検出できない条件の違いは…とか。以前はわからなかった「条件」がわかって再現できるようになれば、それは魔法から科学へと昇格するはず。科学技術は進歩=拡大していくものだし、技術の進歩は科学が魔法の領域をどんどん侵食していく過程なのかも。 途中、どうして「経済活動」というファクターが出てこないのかな、と思いました。大量生産には経済という条件がつきもの…。(個人的に、経済SFってできないかな、あったら読んでみたいな、とここ数年思っているせいもあって、つい頭を掠めてしまいました。もっとも、それはこのエッセイやチャン氏の著作に限らず、ジャンル全体としての住み分けのように感じますが)科学やSFと、経済という生臭いものは水と油…でしょうか。そうだとしたら、それ自体が例になってしまうのですが…ものや知識の有用性は、人や文化によって解釈が違うし、そうなれば事実であってもほったらかしになる分野はできて、知識(あるいは認識)の穴というか、死角になります。 このエッセイでは、 もちろんそれが解明されたら鉛から金ができるとかいう話ではなく、「今はまだ発見されていないもの」が発見されたら、「魂の浄化の大量生産」はできちゃうかもしれない…という可能性のことです。魂の浄化なんぞを大量生産しても経済的な見返りは乏しそうなので、あんまりないかもしれませんが。(それがさっき書いた、ほったらかしになる「知識の死角」です) …フィクションでは、その手の「みんな聖人になっちゃう?」みたいなイメージは、おぞましいものとして描かれるのが常です。でもこれはたんに鑑賞作品としての「クセ」みたいなものではないかしら。そんなものを「絵になるように」「鑑賞に堪えるように」描きようがないとか、ぶっちゃけダークでないとかっこよく見えないとか(笑)、危険思想っぽいとか。ネタとして検討する前に、思考停止してしまう要素が多いような気がします。 …ちょっと話がそれてしまいました。チャン氏が科学として扱うものを考えるとき、思い出されるのが『理解』の主人公です。知能が異常に発達して、超能力的なものまで獲得した人物を描きながら、道徳やEQ的な意味での[意図の発達]はさせませんでした。(救世主志向的に描かれるレイノルズにしても、彼の意図は獲得したのではなくて、元からの性質が拡大しただけのように見える)ワタシには、認識力や視野の拡大(たんに情報量の増加でなく、解釈する能力自体の発達)と、個人が抱く意図の変化は、不可分のような気がするのですが…。チャン氏には、このへんに何かけじめがあるんでしょうね。「科学と宗教」や「科学と魔法」でなく、「科学と善悪」のような住み分けが。 …うーん、穿ちすぎちゃったかな?まとまりがつかなくなっちゃいました…それくらい触発的でした、ということで。(笑) |
『大森望のSF観光局』 カット…ワタシもあの駄洒落はちょっと…(気持ちはわかりますけど(^ ^;))でも、笑い飛ばさずにマジメに答えていたチャン氏の、好感度をアップする効果があったのは確か。(笑) |