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2023/07/26

ヴァニティフェアインタビューと学会講演

 (取り急ぎ後半のイベントの話題をアップしたいので、インタビューの引用訳は充分に推敲できておりません。何卒ご容赦ください。<(_ _)>)

・ヴァニティフェアインタビュー

“We Have Built a Giant Treadmill That We Can’t Get Off”: Sci-Fi Prophet Ted Chiang on How to Best Think About AI

 

先日のThe New Yorkerへの寄稿記事が「バズった」らしく、その「話題の人」にインタビュー、という文脈でした。ただ、質問がちょっと失礼に見えたり(「どうやって『The New Yorker』との関係ができたんですか?」)、気取った言い回し(ラテン語とか)が鼻についたり…ごめんなさい、正直敬意が感じられないところがありました。よくチャンさんは文学のメインストリームとSFコミュニティとの乖離について触れますが、老舗の大手雑誌と「たかがSF作家」(話題になった記事を書いたとはいえ)、みたいな構図があるのかしらん、なんて思ったり。 (いや、たぶん私の英語読解力が至らないのでしょう(^^;))

とにかく個人的にはそんな印象だったので、「マーク・アンドリーセン(テック界の大物さん)のAIについての投稿をチェックしているかどうか、興味があるんですが」に対して 「読んでいません。彼の意見に興味津々、とは言えないかな」「『ブラックミラー』の新シリーズは見るつもりですか?」には「レビューが良ければ」…と、いつものテッちゃん節でキッパリ答えてらっしゃるのはちょっと痛快(?)でした。

「自分は新しもの好きだと思いますか?」に対しての答えにはなんだか親近感が湧きました。
「ほとんどのものついては違うと思います。そうするためには、絶えず新しいユーザーインターフェースに慣れる努力が必要な気がするので。テクノロジーに何が起こっているかを見ることには興味がありますが、日々の仕事の範疇では、現行のものに問題がない限り新しいものは求めていません。今のWordより、ずっと古いバージョンを今でも使えたらいいのに、と思いますよ」
…いやまさに!自分も今のWordには不満タラタラなので、思わず我が意を得たりと膝を打ちました!(とクリシェ表現の連続☆)

些末なところばかり拾ってしまいましたが、前記事での「AIと資本主義」の延長で、テック業界の人が「新しいものは良い」という認識から自由になるのが難しいことなど、より掘り下げたお話も読めました。

「こういう格言があります。『愚か者には二種類ある。一つ目は「これは古いものだから良い」と言い、二つ目は「これは新しいからもっと良い」と言う』(…)今私たちは、誰もが「これは新しいからもっと良い」と言う時代に生きています。こう言う人々がいつでも正しいとは思いません。けれど、彼らを批判し、新しい何かがより良いわけではないと示すのはとても難しい。(…)なぜなら、私たちが生きている時代は、多くの人が経済的なインセンティブによって、「新しいものなら、それは(以前より)良いものだ」と私たちに信じ込ませようとする時代でもあるからです。 アプトン・シンクレアの引用ですが、こんな言葉があります。「自分の給料が『何か』に依存していることを理解していない人に、その『何か』を理解させるのは難しい」。製品を売る企業、そこで働く人々、彼らはまったく誠実なのかもしれない。必ずしも悪意があるわけではない。彼らにはただ、それら(自分たちの作っているもの)は良いものだと信じる、ある種の動機づけがあるのです」

「私たちは降りることができないランニングマシンを作ってしまったのです。たぶん。おそらくそこから降りることは可能でしょう。しかしそのためには、私たち全員が自分たちで作ったランニングマシンに乗っていることを理解したうえで、全員が降りることに同意する必要があります」

 

インタビュアーさんの名誉のために書き添えますと、具体的にチャンさんの作品に触れて質問がされていたので、過去の作品をきちんと予習されているのがわかりました。映画やドラマへの親和性が高いインタビュアーさんのように感じましたが、『メッセージ(Arrival)』の原作者、という意識はあまりなかったのかな……。ま、今回のテーマから外れてしまいますね。

重要な質問が最後に。「AIの現状について書いたのは、将来の短編のための準備の一環ですか?」との質問には"No, no."と答えていらっしゃいました。

 

 

・学会講演

ALIFE 2023 特別公開講演 「生命と意識、人工と自然」 テッド・チャン(SF作家)× アニル・セス(神経科学者)

「札幌で開催される国際人工生命学会 (ALIFE) 2023年度大会の基調講演者である、テッド・チャンとアニル・セスが一般に向け」て行う講演だそうで、誰でも登録すれば無料でオンライン視聴できるとのことです。

2023年7月28日(金)15:50-16:50 (日本時間) オンライン視聴(ZOOM)

開催地が日本のイベントです!(学会だろこら(笑)) リモート参加だとは思いますが嬉しい! こんな辺境サイトに書いても見る方いらっしゃらないかもしれませんが、Twitterで公式さんが宣伝しているので、多くのファンの方が視聴できますように!

で、早速登録させていただいたのですが、運悪くその日の午後は予定が入っているので、移動中にチラ見出来れば御の字です。(泣) この手の配信は登録するとあとから録画を見られる…というのが多いので、見られないかなー…と思っていたら、同じことをTwitterで質問した方がいらして、先ほど、「講演はライブ配信のみ」とのご回答を確認しました。ああ、残念。どなたかリポート/トランスクリプト上げてくださらないでしょうかねぇ。公式さんでそんなんがあるとありがたいのですが。(もしくは事後にYoutubeで公開とか…)

まあ、普通に考えて平日の昼間に視聴できる人は多くなさそうなので、あまり外に向けたものではないのかもしれません。でもすごく興味深いテーマですね。(あ、夏休みだから学生さん向けということなら別ですが…そもそも学会ですし、もしかして「誰でも視聴可」なのは学生さん勧誘の意味があるのかな? だとしたら外野から見せていただけるのはめちゃくちゃラッキー☆ チャンさんを追っかけてるといろいろ勉強になって楽しい♪)

一緒に講演なさるアニル・セスさんが、こんなツイートをしていらっしゃいました。Nice♥


 

 

その他のイベント

そのほか、先週末はサンタフェでのイベントにも参加なさったようです。

The Complex Self - SFI x SITE Panel Discussion

こちらのツイートで知りました。こちらも写真を見る限りリモートでの参加のようです。テーマが面白そうですねえ…。

(引っ越し時追記:元ツイートを探してみましたが、削除されているようです)

公式ページの最後に、後ほど録画が公開されると書いてあるので期待して待とうと思います。

ああ、こういうイベントが多くなってくると夏ですねえ。コミケに出なくとも(笑)「夏休み!」って感じがします!

 

2023/07/01

ポッドキャストとインタビュー

 最近出たポッドキャストとインタビューを見つけました。矢継ぎ早な露出は嬉しいけれど、私事が立て込んでる上にノロマなので記録が追いつかず、すでに最初のを見つけてから一カ月経ってしまいました……(^^;)。取り急ぎリンクだけ記録します(日本語タイトル等はとりあえず直訳で。一部感想つき)。ついでで見つけた過去のインタビューも、以前記録したか覚えていないので追加しておきます。

 

・ポッドキャスト
「子供を育てるようにAIを開発する」 (CASBS ポッドキャスト61・ 2023/6/1 ) 

Developing AI Like Raising Kids - Alison Gopnik & Ted Chiang (CASBS Podcast 61)

リスニング難民なので(^^;)詳細まではわかりませんが、予想されるように、"The Lifecycle of Software Objects"と絡めてAI開発について…という趣向のようです。番組自体は3分過ぎ頃から、チャンさんの発言は7分過ぎ頃から。

 

・インタビュー
SF作家テッド・チャン:「現在我々が持つマシンは意識を持っていない」 (フィナンシャル・タイムズ)

Sci-fi writer Ted Chiang: ‘The machines we have now are not conscious’(Financial Times)

今度はフィナンシャル・タイムズですか!とそこで驚いちゃいました。私でも名前は知っている(笑)くらい有名な経済紙ですね。

それはさておき、中で(ご自身の言葉でなく)Twitterで見かけたというやりとりを紹介なさっていて、これにすごく共感しました。「AIって何?」というのに対し、「1954年にやらかしたまずい言葉選び」で、このせいで混乱していると。で、混乱しないように名前を付けなおすとしたら「応用統計学」だと。たしかにArtificial Intelligence(人工知能)という言葉のせいで、「意識を持つのか」とかいう方向に想像が行きがちですよね。そう聞くと、どうしても『2001年宇宙の旅』のHALみたいなものを想像してしまう。今の「AI」はそれとは別物ですね。

読んでいて、日本の女性の研究者さんの発言を思い出しました。(お名前を失念してしまいました。そのあと朝日新聞にも寄稿なさっていて切り抜こうとしたのに……)BS TBSの『報道1930』で、AIについて先走った想像を投げかけられて、苦笑しながら「プログラムですから……」とおっしゃっていたのです。すごく共感しました。(素人なのに共感というのはおこがましいかも。「安心」ですかね)

機械が内部にあるデータを再構築して表示してるだけ、というのがChatGPTを使ってみた実感でもあります。「学習」とか「~に聞く(質問する)」とか、擬人化して話しているのは人間の側で、こういう見立てを面白がる気持ちは自分にももちろんあるんですが、実際にやってみると、個人的には(ChatGPTを人間扱いして質問を「会話として演じながら」入力するのは)ちょっと気持ち悪く感じました。自分でも意外です。これについては書きたいことがたまっているので、自分のブログかなんかで書きたいです。

インタビュアーさんがランチの約束を取り付ける所の回答で、「AIについては喜んで話します。私生活については話しません。それで良ければ」とおっしゃったそう。もしかしたら"The Lifecycle..."が子育てをメタファーにしているので、実際には?みたいな質問を受けがちでうんざりしていらっしゃるのかも?などと一瞬邪推しました。お子さんはいないんですよね。やはり想像力・表現力と実生活で何をしてるかはまったく別の問題ですね。よく言うじゃないですか。下戸の俳優さんのほうが酔っぱらった芝居がうまいって。(そいえばチャンさんも下戸でしたよね確か[関係ない☆(笑)])

 

・インタビュー
前提を検証する:2020 PNBA受賞者テッド・チャンとの一問一答

Examining Assumptions: A Q & A with 2020 PNBA Award Winner Ted Chiang(NW Book Lovers)

2020年のインタビュー。

 

2023/05/10

『AIは新たなマッキンゼーになるのか?』を読んで

今回は珍しく(?)見つけたばかりのご寄稿について、記録・ご紹介と感想など。GWで時間があったので早めに読めました♥ また"The New Yorker"のサイトです。(以下引用部分は拙訳・箇所によっては意訳/要約です。ご了承ください)

Will A.I. Become the New McKinsey? | The New Yorker

 

テーマは「AI」ですが、SFやガジェットフリーク的な目線ではなく、より広い視野に立ったもの。経済的な側面を直視していて、どちらかと言えばジャーナリスティック。だから自分のような「パンピーな大人」(特にガジェット好きではなく、専門用語はよく知らないけど経済的な問題には切実な興味を持たざるを得ない、という程度の意味で)でも深く共感できる内容でした。

 

◆「マッキンゼー」の含みと資本主義への視線

…「いわゆる経済ニュース」を日頃読まない自分には(^^;)ボンヤリとしかわからない単語が続出なので、自分の確認を兼ねて基本のところを。

「マッキンゼー」というのはアメリカの大手経営コンサルタント会社で(ここからです、池上さん!(笑))、文中ではFortune 100(米国企業の売上高上位100社)の90%がその顧客だと書かれています。記事によれば、こういうコンサル会社に一番求められるのは、レイオフ(業績悪化などが原因で従業員を一時解雇すること。再雇用が前提で日本では少ないらしい)の道義的責任を経営者が直接かぶらなくてすむようにする、ということだそうです。「コンサル会社のアドバイスに従っただけ」と言えるので。

それと同じ機能を、AIが果たしつつあるというご指摘。問題はAI自体ではなく使い方。現在は「企業が従業員を解雇しやすくする」方向に使われているけれど、考えるべきなのは「解雇をしにくくする」方向に役立てることはできるんだろうか? ということだと提案しています。これ、当たり前のようでなかなか口にされない切り口だと思うんですが、どうでしょう? 

マッキンゼーの前共同経営者は“We don’t do policy. We do execution.”「我々が行うのは政策ではなく実行である」と発言しているそうです。(解釈に迷ったのですが、検索で出てきたソースと思われる記事 "McKinsey & Company: Capital’s Willing Executioners [Current Affairs]"の文脈を見ると、「わが社は政策決定になど関与していない。課された仕事を粛々と遂行しているだけだ」…というニュアンスかと。do executionは「死刑を執行する」とも読めるので、やってることを考えるとダブルミーニングっぽい?)

 

チャンさんの見方はこうです。

しかしこれはなんとも中身のない言い訳だ。というのは、有害な政策決定が行われる可能性が高まるのは、コンサルティング会社——あるいは新しいテクノロジー——が、その政策を実行する手段を提供する時だからだ。
(原文)But this is a pretty thin excuse; harmful policy decisions are more likely to be made when consulting firms— or new technologies— offer ways to implement them.

 

「AIの提案に従っただけ」というのも同じように茶番で、アルゴリズムはその企業自身が決めている、と釘を差しています。

でも「そういう需要」でお金が動くなら——その需要が資本家のものなのですから——「そういう方向」にだけ開発が進んでしまうのが今の資本主義だよね——と、どこかであきらめている自分がいます。お金になりそうな分野の薬だけ開発されるのと同じでうんざりしてはいるけれど、どうせ変わらないんでしょうと。でもあきらめて沈黙してはいけないんだと、記事を読んでいて叱咤された気がしました。(反省)

ここで思い出したことがあって——以前にも書きましたが、傍聴したあるパネルディスカッションで、ロボット研究者の方が「(研究は)やりつくしてもう課題がないんですよ」みたいなことを笑いを交えて語っていて(逆説的なジョークではありません)、それがまたその場でウケていて、激しく違和感を覚えたことがあるんです。

実際に役立つことに関しては——私の頭にあったのは、介護現場での人間の負担を軽減したり、そういうサービスを受ける側が楽になるような形での展開など、身近で切迫した例なのですが——そうい面に関しては、まだ課題が山積みじゃないかと。もちろん基礎研究/応用研究の違いなどあるのだとは思いますが、研究者さんというのは、そういう実用面・社会に対する貢献にはさほど興味がないんだなあ……と、まあはっきり言えば失望したのでした。全員がそうなわけはないので、たまたまその時発言した方がそうだったというだけですが。でもその後の展開を一般市民の立場で見ていると、やはり比率としてはあの研究者さんのような姿勢が多いのだろうな、というのが、今でも持っている正直な印象。これは他の分野でも見たことがある傾向です。

横道失礼しました。チャンさんの目線はもっと俯瞰的な所にあり、資本主義自体を対象に据えています。悪しき方向に行かせないために必要なことは、資本主義を飼いならすことと、資本主義に抵抗することだとしています。

 

おおざっぱに言えば、資本主義を飼いならすことは政府の規制を意味し、資本主義に抵抗することは、草の根の市民運動や労働組合を意味する。これらを強化するために、AIが取りうる道はあるだろうか? AIが、労働組合、つまり労働者が運営する協同組合に力を与える方法はあるだろうか?
(原文)Roughly speaking, taming capitalism means government regulation, and resisting capitalism means grassroots activism and labor unions. Are there ways for A.I. to strengthen those things? Is there a way for A.I. to empower labor unions or worker-owned coöperatives?

 

◆資本主義の持つ「偏り」

…たしか別のインタビューでも答えていらっしゃいましたが、ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)には基本的に賛成という立場だそうで、それに関しては同意見を持っているので共感するし、嬉しくも感じます。自分の場合はそう勉強しているからではなくて、個人の立場で直観的に「生きるために最低限必要なことが保障されていたら、お金のためにいやな仕事をしたり、それで体を壊したり、ブラック企業がのさばったりすることはなくなるだろうに。みんな本当に価値を感じることに従事できるだろうに」と思うからなんですが。そして単純に、理想的な未来ではそうなっているだろう、というイメージを子供の頃から持っていたからです。チャンさんがおっしゃっていることも、ほぼ近いことだと感じました。

ただ、ここからは自分には考えつかなかったこと。このUBIが、AI企業の側から推奨されるとき、その文脈が違うものになってしまうと。はしょって書きますと、このままAIの影響で大量解雇が続けば、政府が介入してUBIのような政策を取らざるを得なくなる。そこまで推し進めて事態を悪化させることを肯定する文脈になってしまうと。一次的に悪い状況になっても甘受せよ(なぜならそれはAI企業を富ませるから)、ということになってしまう。なるほど。

AIを提供する企業に道義的責任はある、というのがチャンさんの立場。たしか他の方でしたが、こういう大事なことを、選挙で選ばれたわけでもない企業が決めていいわけがない、という発言があったと思います。(どなたかド忘れしました。ごめんなさい(^^;))個人的にChatGPTを試した印象では、そこまで影響があるほどのものには思えなかったんですが(これは機会があれば別のところで書きます)、AIの用途としてはこれは氷山の一角ですし、自分の想像が及ばない使い方がたくさんあって、根っこのところではすごく影響があるんでしょうね。でも、さっき自分が書いたような、介護などの分野でAIが人間の負担を減らすとか、ましてやヘルパーさんの仕事を奪うなんてことはありそうもない。(これはむしろあってほしいくらい) 現状はやはり限られた分野での利用法しか検討されていないように見えますね。もっと言えば、社会の切実な必要性とは切り離されてる気がします。今はまだ。

 

AIは魔法のように問題を解決してくれる、と考える風潮は、ある強い願望の表れだ。それは、より良い世界を構築する際に必要な、骨の折れる仕事はしたくない、という願望だ。その骨の折れる仕事には、富の不均衡の問題に取り組むこと、資本主義を飼いならすことが含まれる。
(原文)The tendency to think of A.I. as a magical problem solver is indicative of a desire to avoid the hard work that building a better world requires. That hard work will involve things like addressing wealth inequality and taming capitalism.

 

この歪みというか偏りというか……これは素人目にもわかります。たとえばインターネットは、平たく言えば「ユーザーにお金を使わせる」という方向への誘導に特化していますよね。最近すごく鼻につくようになりました。ユーザーがどういう検索をしたか、どういう閲覧をしたかで、「何を買いそうか」を予測して広告を見せる。そんなことができるなら、生活に困っていそうなユーザーや、精神的に追い詰められていそうなユーザーに、無料で利用できる行政の(あるいは「まともな」)セーフティーネット等へのアクセスを表示するとか「人を救う」方向に使うことだって、技術的には可能なはずじゃないですか。

でもそういう方向には絶対開発されない。なぜなら、それは「ユーザーが企業にカネを払うサイクル」ではないから。「企業が」目指すものではないから。結局は企業のために動いてる。ユーザーに対しては、何かを消費するための「情報」なら、いやになるほど突きつけてきますよね。「これを買えば解決(かもしれない)です」と。でも、「ものやサービスを買う」という行為以外に選択肢があるということは見せてくれない。出てくるものの九割方は、本質的に「広告」です。あるいはページビューを稼ぐために量産された、中身の薄い記事(使える情報は公式ページへのリンクだけだったりする)。これは本来必要なソースへのアクセスを攪乱しているだけ。厳密な意味では「情報」ではないです。

そりゃー、意識して「セーフティーネットを調べよう」という本気を出せれば情報は得られます。でも行政のそういう情報って「こちらから」努力しないと得られないし、手続きも大変。精神力がいります。余裕がなくなっている人には難しいです。しかもその過程で、インターネットは別の「商売の客」になることを繰り返し勧めてくるでしょう。そういうがっついたシステムが資本主義だと開き直っている。まさにそこでAIが使われてるのだから、これは使い方が偏ってるとしか言いようがないです。チャンさんの提案のような、使い方の発想を逆転することを考えていいはず。というかその方向の運用を実現するべきですよね。企業の行動原理自体も変容しなくてはならない。世の中全体がそういう流れにあると信じたいです。

 

テクノロジーに携わる人々にとって、なによりも困難な仕事——もっとも避けたいと思うタスク——は、「テクノロジーがより多く開発されることは常に望ましい」という前提や、「すべては自然にうまく収まるものだ。いつものやり方を続けてかまわない」という思い込みに対し、疑いを持つことだろう。もちろん、世界に対する不正行為に自分が加担している、などと考えるのは、誰にとっても楽しいことではない。だが、世界を揺るがすようなテクノロジーを開発する人々に絶対に必要なのは、自らに対して、こうした批判的な疑問を真剣に問うことだ。AIが導く先はより良い世界なのか、あるいはより悪い世界なのかは、その方向を決定づけるシステムの中で、彼らが自分の役割を直視する覚悟を持てるかどうかにかかっている。
(原文)For technologists, the hardest work of all—the task that they most want to avoid—will be questioning the assumption that more technology is always better, and the belief that they can continue with business as usual and everything will simply work itself out. No one enjoys thinking about their complicity in the injustices of the world, but it is imperative that the people who are building world-shaking technologies engage in this kind of critical self-examination. It’s their willingness to look unflinchingly at their own role in the system that will determine whether A.I. leads to a better world or a worse one.

 

*     *     *

 

この方はSFというジャンルにとてもこだわりと愛着を持っておられますが、もともとそういう姿勢——決してSFの領域を「俺たちの聖域」として閉じるのではなく、もっと外に開かれたもの、そしてご本人もよくおっしゃっているように、人間の深淵な問題を考える思想の道具として捉えているんですね。作品以外での発信にも一貫してそれが表れていて、ライターとして信念があるんだなあとつくづく思います。

"The New Yorker"への寄稿が続いてますが、今回、前回共に「Annals of Artificial Intelligence (AI年代記)」というシリーズへの寄稿でした。複数のライターさんが記事を書いていますが、もしやレギュラーライターの一人になってるのかしらん? この雑誌のシステムを知らないのでどういう位置づけなのかはわかりませんが、以前にも寄稿なさっていますね。SF専門誌でなく"The New Yorker"だというところが、なんかこの方に合っている気がします。

フィクションの新作はもちろん読みたいですが、そちらは寡作でいらっしゃるし、無理に量産してほしいとは思いません。でも「文化人として」、意見の切り口がとても共感できて好きなので——自力では言語化ができていないことを、明確に示してくれるので——その方面の発信をもっと読みたい!とつねづね思っていました。定期的にこういう寄稿を読めるなら嬉しい限り。(しかもタダで。チャンさんの記事が上がった時しか読んでないので、どうも無料お試し読み枠で読めていたみたいです。リンクをポチって他の記事を閲覧しようとしたら、「無料枠を使い切りました。これ以上はサブスクしてね♥」みたいな表示が出ました。先月も出ていたけれど今回のは読めたので、月一本枠なのかな?)

個人的には、こうしたご寄稿を辞書を引き引き読むことで、(門外漢分野の)時事用語の英訳語がわかったり、部分的な拙訳を添えることが翻訳仕事の日常訓練になったりで、非常にオベンキョにもなっております。。(しかもオベンキョ感ゼロのミーハー感マックスで(笑)) そして一人では考えないようなところまで思考を引っ張ってくれて、いろんな意味で「閉塞感から解放される感覚」があります。ありがたい。これからも続けてくださいますように。

2023/04/17

「ChatGPTはWebのぼやけたJPEG」を読んで

 少し時間が経ってしまいましたが、テッド・チャンさんが"The New Yorker"に寄稿なさった記事がネットに掲載されていました。

ChatGPT Is a Blurry JPEG of the Web (The New Yorker)
https://www.newyorker.com/tech/annals-of-technology/chatgpt-is-a-blurry-jpeg-of-the-web

 

◆ChatGPTって

公開されたのは2月で、わりとすぐ見つけることができたのですが、恥ずかしながらこれを読むまでChatGPTってよく知りませんでした。(^^;) 最近テレビでもよく報道されていますが、これを読んでいたおかげで(?)わりと冷静に聞くことができています。まだ実際に試したことはありませんが。(ちなみにLineもやりません。てか幸運なことに(?)やらずに済んでいます。ウラシマタロウですなー……)

しかし、つい先日にはOpenAI(ChatGPT開発元)のCEOが来日したそうで。いきなり総理大臣と面会とか報道されていて違和感ありまくりです。他の国での禁止とか警戒が報道されてただけに、「他で蹴られたから慌てて他の(そこそこ稼げそうな)市場を開拓に来ました」感がありありでなんだかなー……OpenAIからの提案やらそのほかの日本に対するお世辞(?)にも「舐められすぎじゃないのか日本?」という気持ち悪さを感じてしまいました。税金使って馬鹿なことしないでおくれよ~?

 

まあそれはともかく、チャンさんの記事はChatGPT自体に対する批判や警鐘というより、世間の幻想に対してもうちょっと現実的に受け止めようよ、という感じ……に思いました。シロートにもすごくわかりやすかったです。さすがIT業界の人ですね。「説明するのが好き」だとどこかで書いていらっしゃいましたっけ。

最初に出てくるエピソードがすごく衝撃で。デジタルのコピー機で不正確なコピーが出力されたというお話。それがデータの圧縮が「不可逆的」(データの損失があるので逆転プロセスで元に戻すようなことはできない)であるためだそうで。ChatGPTも「不可逆」タイプだそうで、それなのに精度が高く「見える」理由も解き明かしてくれています。

 

◆第一稿への不満がリライトを導く

でも一番自分に響いたのは、文章を書くことについて語られた以下の部分でした。拙訳ですがご紹介します。太字での強調は自分が加えたものです。(※この部分の前に、学生に小論文を書かせることの意義……題材をきちんと把握しているかどうかを見るだけでなく、自分の意見を表現する体験をさせている……というくだりがあります)

 

学校を卒業してしまえば、大規模言語モデルが提供するテンプレートを使っても差支えない、というわけではない。学生でなくなったからといって、自分の考えを表現する際の苦労は消えない——新しく下書きを始める時には、いつでもその苦労を味わい得る。時には独創的なアイデアを見つけるために、書くというプロセスが必要な場合もある。もちろん中には、「大規模言語モデルのアウトプットは人間が書くファースト・ドラフト(一番最初の下書き)とまったく見分けがつかない」と言う人がいるかもしれない。だが、これも表面的な類似だと思う。あなたのファースト・ドラフトは、「非の打ちどころなく表現された借りもののアイデア」ではない。「稚拙に表現された独創的なアイデア」なのだ。だからファースト・ドラフトには、あなたの漠然とした不満がまとわりついている。そこに表現されたものと、表現したいものとの距離に気づくのだ。リライトをする間、あなたを導くのはその不満であり、それはAIが作ったテキストを下敷きにした場合に欠けているものの一つだ。
(原文)And it’s not the case that, once you have ceased to be a student, you can safely use the template that a large language model provides. The struggle to express your thoughts doesn’t disappear once you graduate—it can take place every time you start drafting a new piece. Sometimes it’s only in the process of writing that you discover your original ideas. Some might say that the output of large language models doesn’t look all that different from a human writer’s first draft, but, again, I think this is a superficial resemblance. Your first draft isn’t an unoriginal idea expressed clearly; it’s an original idea expressed poorly, and it is accompanied by your amorphous dissatisfaction, your awareness of the distance between what it says and what you want it to say. That’s what directs you during rewriting, and that’s one of the things lacking when you start with text generated by an A.I.

 

…じつは長いこといじっている小説に苦労している最中でして、行きつ戻りつの繰り返しにゲンナリしていたところだったんですが……リライトのプロセスを具体的に、かつ前向きにとらえることができるようになりました。そうそう、まさにそんな感じですよね! そう思えばこの過程こそが書く醍醐味だったんだよね、と今更ながら。"Writing is rewriting"と書いてたのは誰だったか忘れましたが、やはり実感としても真理ですね。

もちろんイッパツで完成形が書けちゃう人もいらっしゃるらしいですし、お仕事として量をこなす必要があれば、また少し違うはずです。(こう考えると、やっぱりチャンさんはいまだに自称の通り「日曜作家」のスタンスなのかな、と思ったりして)オリジナリティが求められるかどうかや、その度合いの違いでも「ChatGPT便利」と考えるかどうかが分かれそうな気がします。まあ好みの問題といえばそれまでですが。創作も何らかのガジェットを使うことに萌えを感じるケースはありますしね。

 

◆お得感と配信文化

でも、ChatGPTがもてはやされている背景には、たぶん「アウトプットを作り上げること」と、「自分の頭を通す・使うこと」が(普通はイコールですが)外注(?)できると「お得」、みたいな感覚があるんじゃないでしょうか。そして、「書く」という行為の内容も、チャンさんが想定しているような深みのある(?)もの以外にもあるわけですし。オリジナリティなんてかけらもいらないようなものが。そのへんが……なんか最近よく聞く「タイパ」? その感覚と通底している気がします。「動画を早送りで見ること」程度の意味でしか捉えていませんが、映画を丸ごと味わわずにストーリーだけ把握できることを「お得」と感じるかどうか。

早送りで把握するのが「お得」に見えるのは、(映像に関しては)配信文化が普及したせいもあるんじゃないかなーと最近思います。自分は映像を配信で見るのはあまり(特に映画は)好きじゃないんですが、たまたま必要でアマゾンプライムに入ってる期間とか、YouTubeの動画を見るときとかは必然的にお世話になります。そういう時って「作品一本」という単位ではなく、もちろん内容の違いでもなく、データ量に比例してカネをとられてるって感覚が当たり前にありますよね。特にYouTubeは(広告収入のために)水増しされてるものも多い印象なので、核心部分を早送りで探すのが当然、となってしまう。

長く見ると「時間=データ量=お金」がかかる、ということに慣れてしまうと、自分の頭(≒自分の時間)を使う部分も少ないとお得、みたいな感覚が生まれるのは実感としてわかります。

 

それにしても、テクノロジーに貢献してほしいところって、自分の目にはもっと別のところなんですけどねー……。今問題になってる物流のドライバーさんの不足。低賃金の軽作業の多さ。介護などの重要で力もいることに従事する人材の不足。こういうところの「人を苦労から解放する」ために役立ってこそテクノロジーだと、古いSFの感覚で素人は思います。今はそれどころか、しわ寄せがどんどん人間の方に来ている感じもある。先端的なテクノロジーの開発は、「よりヒトの役に立つ・ヒトを楽にする」というより、「よりお金になる」が基準なのかしらん。(もちろんそうですよね!(泣))

 

◆オフラインの恩恵と未来予想図

今、じつはこのページはオフラインで作っています。このサイト自体が「Dreamweaver」という古いソフトで作ったものを維持しているので【※追記:このコーナーを置いていた旧サイトのことを言っています。Dreamweaverも現行のアドビではなく、マクロメディアって会社が出してた頃の買い切りソフトです☆(^^;)】完成してからアップロードする方式。使うのはこのコーナーを更新するときだけになってるんですが、すごく落ち着きます!こっちに戻ろうかなーなんて思いが頭をよぎったりして。更新作業に集中できて、しかも「楽しい」なんて久しぶりです。ノロマなので通信料がかさむ心配とか、「どこかから覗かれてるような」、脳みそに穴が空いてるみたいな感覚(そう感じるんです(^ ^;))もないことが大きいです。接続するひと手間があるので、ネットサーフィンの誘惑にも負けにくい。あと、こんなことでも「自分の頭を使う」ことの気持ちよさがあります。配色や細かいところを試行錯誤するのがとても楽しい。

ブログを書くのに使っているbloggerも、現在のメインサイトに使っているJimdoっていうプラットフォームもそうなんですが、今はみんなオンラインで作業をするのが前提ですね。もちろん文章の下書きはオフラインでできますけど、仕上げはオンライン「オンラインでならツールをタダで使わせてあげる(しばしばお試しで期限付き)」というのも多い。てかアドビなんかすっかりそういう道具になってしまいました。マイクロソフトもそちらに向かっている。使う間ずっと通信料がかかるし、なんか「ユーザーがお金を払い続けるサイクルに落とし込む」っていうIT企業さんの本音あまりにむき出しでイヤン、てな感じがします。ネットの恩恵はもちろんあるのですが、接続しないと何もできないのはなんとも不自由で、「支配されてる感」が心地悪い。(…昭和人なせいでしょうか?関係ない?(^ ^;))

チャンさんの記事が出てからもう2カ月以上経ち、日々の報道を見てもChatGPTの精度は上がって(あるいは調整されて)いるようです。このスピードも怖いですが、本質的な問題は書かれている通りだと思いました。これを読んだおかげで(そしてこの記事を書くために)ChatGPT周辺の情報を渉猟できたのも、自分には刺激になりました。

全体を訳すのは問題ありそうなのでやめときます。そのうち公式の日本語訳が出るかな…?(あるいはもうどこかに?)でもこの進歩のスピードを見てると、あっという間にこの話題は古くなってしまうんでしょうね。

 

…大昔に「書物」が出来た時にも、「これに頼って記憶をしなくなるからけしからん」という批判があったらしいですよね。ChatGPTみたいなものも、当たり前にみんなが使いこなすようになるのかどうか……。ゆくゆくは「AIなしで文章を書く」「AIなしで絵を書く」なんてことが、「特技・趣味」とか特別な「DIY」になってたりして。((笑)…と書こうとしたけどちょっと笑えない)

まあ消えた新商品なんて星の数以上にあるのでわかりませんが。SF的なガジェットにわくわくする気持ちもどこかにありつつ、進歩のスピードと「それが資本主義の枠組から一歩も出ていない」ことに、一抹の怖さも感じています。